第三章 依存症
「あー。まずまずだね。」
俺は愛用のマルボロライトメンソールを咥えながら、PHSの相手へ返答した。
相手は常連の清水だった。
そして内容は、またしてもスロットの調子についてだ。
あの日以来、講義の空き時間を狙って、俺はパチンコ、スロットのホールに出向くようになった。
清水と苅谷はどうやら、最近勝てなくなったらしい。
清水はともかく、苅谷には才能があるとは思えなかった。
だが、俺は勝てていた。
なぜ、勝てていたか?
二人に対して俺が誇れるもの。
それは、情報と目だ。
要はパチスロ台を攻略することが出来た。
情報というのは、いうなれば台の基本スペックや設定ごとのボーナス確率や機械割のことだ。
これを知っているのと知っていないのでは、当然差がつく。
俺は今現在約10機種をメインに立ち回っているが、それらすべての機種において、
設定1〜6までのボーナス確率や機械割は頭にインプットされていた。
勉強は決して覚えようとしない、そして関心を示さない数値がなぜかスロットのことになると、
スラスラ暗記できてしまうのだ。
まさに水を得た魚だ。
この設定ごとの数値を覚えると、ある程度自分の台が低設定なのか高設定なのかの判断が可能になる。
要は、高設定だけを狙って打てるようになるのだ。
そうすれば、自ずと勝利が見えてくる。
もうひとつの誇れるもの。それが「目」だ。
これは、つまり動体視力というのだろうか。
普通の人間だと、リールの回転中にボーナス図柄ぐらいしか見えないところ、俺はなぜか各図柄が認識できた。
これが明らかに他の数多の人間と違うところだろう。
小学校から、高校まで一貫してボクシングのジムに通っていた。
ある事件をきっかけに、ジムからは破門させられたが、それまでの戦歴はかなり誇れる内容だったと自負している。
将来性もあったが…。
この動体視力。スロット用語で言えば「目押し」だが、これが秀でていた。
では、これが出来ると何がいいのか?
これが出来ることによって、今現在スロットの2大攻略法が手に入ることになる。
「DDT打法」
これは、簡単に言えば、通常時の小役を全て奪取するという手順だ。
毎回同じ場所を狙うことによって、成立した小役の取りこぼしを防ぎ、通常時のゲーム数を数ゲーム上乗せする方法である。
つまり、1000円で本来なら30ゲーム回せるところをDDT打法を駆使することによって、33から34ゲームに増やすことが可能になる。
これは、あまり効果が薄いと思われるかもしれないが、俺に言わせればとんでもない。
他の人が10000円でボーナスを引くところ、俺は9000円でボーナスを引けるということだ。
これが、数回だったら、対して大騒ぎはしないが、数百回だったら、相当に差がつくのだ。
「リプレイはずし」
これも、目押しができるまさに俺専用の攻略法ではないだろうか。
これは、ビッグボーナス中のリプレイフラグを強制的に揃わなくすることによって、
小役ゲームを意図的に増やし、1回のボーナス獲得枚数を増やす攻略法だ。
いうなれば、本来370枚程度のビッグボーナスの獲得枚数を400枚やさらに増やすこともできる。
当然引けば引くだけ差が出てくる。
この2大攻略法を駆使することによって、スロット3ヶ月の俺はすでに収支が100万を超えているのだ。
こうなってくると、正直バイトも億劫になってくる。
好きで始めたラーメン屋のバイトだったが、残念ながら時給800円。スロットだと4000円を超える計算なのだ。
ラーメン屋の店長は本当にお世話になった。俺の麻雀の原点はここだった。友人にも恵まれた。
ただ、残念ながら目先のお金には適わなかった。
「もう駄目だぁ。」
苅谷が俺に呟いた。
「そろそろ潮時かもしんねぇな。」
「そうか。まぁきつい言い方かも知れないけど、やめるのもいい選択だよ」
俺は苅谷に口添えをしたが、自分は止める気など毛頭なかった。
雀荘「国士無双」から見える夕日は、雲の色を真っ赤に染めており、この世の空とは思えない状態だった。
雀荘にはいるが、麻雀はしていない。一人面子が足りないのだ。
マスターは金にもならない俺達を憎まれ口を叩きながら、暖かく迎えてくれた。
「そういえば最近、ユウタはどうしたんだ。学内でも見ないけど…」
俺が尋ねると、なぜか苅谷が俯く。辺りが一瞬凍てついたようだった。
(現在この番号は使われておりません。)
「駄目だ。やっぱり繋がらない」
俺は、清水のPHSに連絡したが、相変わらず機械的な音声しか流れてこなかった。
「一度、あいつの家に行ってみないか?」
俺が提案すると、苅谷は、俺はいいよと断ってきた。
「ユウタと何かあったのか?」
タツヤが状況を確認すると、苅谷は長いため息をつきながら漏らし始めた。
「ユウタの奴。3日前にいつものホールで見かけてさ…」
…俺はユウタに声を掛けたんだ。久しぶりだったし。
最近顔を見せないなぁ。って気軽に声を掛けたんだよ。
そしたら、アイツ俺の顔を見るなり、「邪魔だ。消えろ」といいやがったんだ。
さすがに俺も頭きてさ。そりゃねーだろ的な事を言った瞬間、
アイツ俺の腹に一発かましやがった。
清水は俺とは一番長く付き合いがある。
清水も同じジムで10年近く一緒に通った仲だ。
正直、素人の苅谷がかなうはずもない。
「そんなことがあったのか。それで…」
「…アイツの目、あんなアイツの目は始めてみたよ。」
苅谷の目は宙をさまよっていた。かつての忌まわしい出来事を思い出しているのは明らかだ。
「腹を抱えて倒れこんだ俺をそこらのゴミのように一瞥した瞬間、立ち上がってホールを出て行った。
俺は息が出来ないのとアイツの目に竦んで、しばらく動けなかった。
どうにか立てるようになって、ユウタを追いかけたんだ。そしたら…。」
「サラ金か」
タツヤが一言呟いた。
「多分そうだと思う。ユウタの奴、古いビルから出てきたよ。ちょうど「国士無双」のような」
苅谷はその場で隠れて、清水が再びホールに入るのを目撃したとのことだった。
ビルの看板を見るとどう考えても真っ当ではない金融屋の事務所だったらしい。
「どうやら完全に虜にされちっまたようだな。」
タツヤが暫くして俺達に呟く。
「パチスロはやめろと忠告したはずだったよな」
俺と苅谷はタツヤの目を直視できずにいた。
「だけど。サラ金なんてまさか…」
俺は現実的な話、サラ金なんて全く無縁だと思った。
そんなところで借りるなんて、よっぽどのアホしかいないと思っていた。
サラ金の高利貸しなんて、今や中学生でも知っているだろう。
そして借りたら最後、命ある限り毟り取られるということも…。
「なぜだ。そんなに負け続けるのならいっそ止めればいいのに…」
理解できない。
「もう無理だ。ユウタとは縁を切れ」
「タツヤっ。てめえ」
俺はタツヤの言葉に頭に血が上り、思わず襟をつかんでいた。
「それが、仲間の言うことかよ。俺達でアイツの目を覚まさせてやろうと思わないのかよ」
「これは一種の病気だからな。」
「どういうことだ?」
「…依存症だ。」
タツヤは俺に襟をつかまれながら宙を見つめ、独り言のようにぼそりと呟いた。
「タツヤ。まさかお前…」
「ああ。察しの通りさ。あるバカな奴にそそのかされて以前に…な。」
「お前はどうしてやめることが出来たんだ?」
「まぁ。あまりお前らにも話したくないが、ある事件がきっかけだな。」
そういえば、前に一度だけ聞いたことがあった。タツヤの身内のはなしだったか?
俺はそれ以上タツヤをせめられなかった。
俺もタツヤにならって外を見た。つかんだ襟をいつのまにか外していた。
先ほど真紅の空は完全に闇色に覆い尽くされていた。
清水が大学を中退したことを知ったのは、それから2週間後だった。