第一章 七夕

「くそ。やっちまった。」
俺は、自分の軽自動車に乗り込み、声をだして一人つぶやいた。
ステアリングを見ながら、おもいっきりクラクションを鳴らしたくなる衝動にかられた。
だが、できなかった。所詮そこまでの勇気は無い。
今、23:00。ここは、パチンコホール「人生会館」の駐車場。
そして今日は、7月7日。
世間では七夕祭りだが、自分にとっては、7が重なる年に一度のイベント日だった。

 

朝、俺は目覚めた。しかも5時半に。
仕事の朝は、7時に目覚ましをセットしているが、目覚ましに勝てたためしが無い。
だが、今日は違った。気持ちが高ぶっていたせいで、眠りも浅かったのだろう。
余裕で目覚ましに勝つことが出来た。
今日は、待ちに待った7が2つ並ぶイベントの日。
本当は、スリーセブンが縁起がいいのだろうが、残念ながら、地球暦に7月77日は存在しない。

 

8:30
俺は所持金35000円と、銀行のキャッシュカード。
そして、「にっこり金融」のローンカードを持って、戦場に赴く。
予め説明しておくと、「にっこり金融」のローンカードはお金を借りるためではない。
今日の勝利分で借入れ分を返済するために必要なカードなのだ。
俺の頭には勝った10万円で5万円を返済し、残りはどうしよう??
そんな無駄な考えしか浮かんでこない。
なんといっても今日は年に一度の7が並ぶイベント日。
そこに一抹の不安も無い。ばら色の未来があるだけだ。
今の俺には、所詮その想像自体が過去何百回裏切られてきたことに気づいていない。感じてもいない。
常に繰り返す。
サルのマスターベーションと変わらない。

 

12:00
俺の財布は残り3000円となっていた。
9時から打ち始めたパチスロは一度もボーナスを引けていない。
たった、3時間で32000円がパチスロのサンドに消えていった。
店員が、サンド内のお札を回収しに来た。
名札には店長の文字が入っている。
そして、俺の32000円が店長の懐に・・・ではないが、回収されていった。
こんな事だったら、32000円をビリビリに破って、どぶ川にばら撒いたほうが、よっぽど人生としてかっこいいかもしれない。
要は俺が苦労して稼いだ金がパチスロの機械を通して、どこの馬の骨かもしれない人間の手に渡るのだ。
なんのお礼も見合う対価もなく・・・。

 

3000円の所持金しかなくなったところで、流れを変えたいと思い、昼食にした。
今日もいつものように豚骨チャーシュー麺。
3000円しかないにもかかわらず、1000円の昼食だ。
俺の休日の昼食はここで、豚骨チャーシュー麺を食べるのがすでに習慣になっていた。
ここで少し冷静さを取り戻した。
「やめる」か「続行か」
32000円使ったということは、当然結果は負けだが、ここでやめればこれ以上傷口は広がらない。
だが、「続行」して取り返さないと、「にっこり金融」の返済が非常に厳しくなるのも事実だ。
スープをたっぷり吸ったチャーシューを頬張りながら、俺は決断した。「やめだ」と。

 

昼食を食べ終わった俺は、すぐ近くのコンビニのATMに駆け寄った。
キャッシュカードから返済分を下ろし、『にっこり金融』に返済するためだ。
ホール近くのATMだけあって、中には8人ぐらい並んでいた。
なかなか順番が回ってこないことを予測し、俺はコンビニを後にした。

 

ふと気づくと、『にっこり金融』ATMの前にいた。
「人生会館」から歩いて300mぐらい進んだ寂れたビルの中だ。
まずは、『ご返済』ボタンをタップし、2000円を投入した。
そして数秒後、何の躊躇も、罪悪感のかけらも無く、『お借り入れ』50000円とタップした。
(この50000円はスロットではなく、1ヶ月の生活費だ)
何の保証もないのに、無意味な希望にすがり自分を正当化していた。

 

17:00
俺は懲りずに単純作業を繰り返していた。
残念ながらというか、お約束だが、
『にっこりローン』で借り入れた50000円も底を突きかけた。
残りやはり3000円しかない状態だった。

 

なぜ、俺はここにまだいるんだ?
なぜ、俺は生活費の50000円を使っているんだ?
なぜ、俺はそのまま帰らなかったんだ?

 

パチンコやスロットというのは本当に不思議なのだ。
手元にお金がある時点で、もうその誘惑に抗うことなどできはしない。
脳では、これは生活費として、認識しているものの、体が言うことを聞かないのだ。

 

さすがに俺も焦っていた。なんで、こんなにつらいんだ。と思った。
本来パチスロやパチンコはストレス発散の機会だろう。
だが今の俺は間違いなく、最大級のストレスを貯めていた。
朝の9時から永遠と夏目漱石をパチスロのサンドに挿入する繰返し。
もう何十回繰り返したか、正直考えるのも恐ろしい。
手に汗がにじんでいた。きっと目も血走っていただろう。

 

財布にあるラスト3枚の夏目漱石をじっくり眺めた。
(さぁ席を立とう。何十枚と入れたのに出てくれないんだ。
この残り3枚で出る訳がないじゃないか。)

 

ふと、ここで気づいた。何の前触れも無く・・・。
(あれ、夏目漱石じゃねぇ。野口英世になってる??)

 

何か自分の馬鹿さ加減に自嘲気味に笑ってしまった。
もう。泣いても笑ってもこの3千円で終わりだ。
俺は再び、コインサンドに野口英世を滑り込ませた。

 

メダルが50枚払い出される。
メダル3枚を入れて、レバー押した瞬間。
リールが回らない。
液晶画面が消えた。
ど派手な甲高い告知音。
一瞬理解できなかった。
1秒後、理解した。

 

(き、きたぁ。フリーズだぁ)

 

注ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「フリーズ」
パチスロ機種によってまちまちですが、最強のプレミア役です。
確率的には概ね10000分の1から50000分の1という極めて低い当選役です。
本来はパチスロはメダルを入れてレバーをたたいた瞬間にリールは回り始めますが、、
数秒後〜数分後にリールが回りだすという演出が「フリーズ」と呼ばれる所以です。
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『脳汁が溢れる』
『脳内麻薬が分泌される』

 

ギャンブルなど興味が無い人間ははこの言葉自体比喩的な表現と思うかもしれない。
だが、現実にこの感覚は存在する。
脳みそに炭酸水をぶっ掛けた様な。もしくは、
足のつま先から、脳まで一気に鳥肌が湧き上がってくるような感覚。
極論を言えば、この感覚に比すれば射精など、本当に子供騙しなのだ。

 

(俺は今、確実にエンドルフィンを分泌した)

 

なんとも言えない快感と、幸福感が襲ってくる。
一瞬涙が出そうになった。いや、実際泣いていた。

 

俺の頭の中は、今までの投資金額のことなど、すべて消え去っていた。
ただ、この瞬間に充足感を味わっていた。
いつまでもこの感覚を味わっていたいと切に願った。
次々とあふれ出るメダルに調子に乗って「俵積み」をはじめた。
久々の経験だ。

 

注ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「俵積み」
メダルは通常下皿が満タンになると、「ドル箱」に移す事になります。
通常、「ドル箱」には1000枚弱のメダルしか入りませんが
メダルを縦にして詰め込むようにすることによって、
隙間無くメダルを積むことができるようになり、約1500枚ぐらい
ドル箱にメダル積むことができます。
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19:00
フリーズを引いたことによって、メダルは約2000枚をはきだした。
メダル1枚=20円の計算なので、現在、40000円分のメダルがあることになる。
今、やめる事によって、投資の半分を回収できたことになる。
ここで俺は再び冷静に考えた。

 

・今2000枚だから、消費者金融に返すにはあと500枚=10000円分足りない
・時間は19時だから、あと4時間弱打てる
・もう一度フリーズを引ければ、今日の収支がプラスで終われるかも知れない

 

ここで、普段使わない脳がまたしても誤った判断を下す。
俺の脳が下した判断は「続行」だ。

 

22:50
「本日のご来店誠にありがとうございました。」
店内のアナウンスがホール内に響きわたる。
俺はパチスロの下皿のメダルを見た。約300枚。
絶頂期は4000枚あったメダルが…。
当然、苦労して作り上げた俵積みのドル箱は空である。
無心の状態のまま、300枚のメダルをドル箱に入れて、
交換カウンターにいる店員にに渡す。

 

計測器が回りだし、出てきたレシートには、272枚。
レシートを見た俺は怒りで一瞬片眉がピクッと吊り上り、
その後まさに死んだ魚のようにどんより曇った。
表情は喜怒哀楽を超越した完全な能面と化していた。

 

駐車場で車中から、道行く人を見ると、浴衣姿のカップルが多いことに気づいた。
(そういえば今日は七夕なんだよな)
・浴衣
・カップル
・笑顔
何も難しいことは無いのに、当たり前のことなのに俺にとっては別世界の出来事のように思えた。
決して手に入れることができない宝物のように思えた。
(もう・・・。戻れないのか)

 

愛用のマルボロライトメンソールと100円ライターを取り出し、
火を点して、一息吸い込むと、愛車のエンジンを始動させた。
「いつから俺の人生って狂っちまったんだろう・・・」

 

第二章 チェリーボーイへ